豊橋 市内では珍しい名前・星加 通宏(ほしか みちひろ)
めずらしい苗字ですがコレ本名です。
豊橋 市内では殆ど見かけることの無い名字なので、源氏名的な名前と勘違いされる方もいらっしゃるのですが・・・
この名前が本名です。良くも悪くも一度聞いたら忘れられない名前だと思います、良かったら覚えて下さいね。
(因みに漫画宇宙兄弟で星加と言うキャラクターが出たりしてちょっと嬉しかった事も)

情に厚く情熱を持ったJAXAの職員。宇宙飛行士選抜試験の試験官として、書類選考から最終審査までを見守った。若い頃にはフサフサの髪の毛で「JAXAのライオン」と呼ばれていたらしい。福田と共に、2008年のJAXA宇宙飛行士選抜試験を受験したが、運がなく落選したという過去を持つ。幼いムッタとヒビトが頻繁にJAXA見学に来るのを覚えており、ムッタには「モジャ君」ヒビトには「ツン君」とあだ名を付けて呼んでいた。南波兄弟への思い入れは深い。

先日学生時代の友人に「あれ?名字なんで違うの?」なんて聞かれました。
高校までは、母方の姓【神谷】を名乗っていて、高校卒業後に父方の姓の星加になりました。
星加になってもう長いのですっかりそんな事を忘れていました。
座右の銘
自信の上には奢りがあり、謙遜の下には卑屈がある。
凡俗であるのなら数をこなせ、才能がないのでなら自信をつけよ
為せば成るなさねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり

僕自身がASDという事もあり、人と同じでは居られなかった為かもしれませんが、いつも心がけている言葉になります。
「為せば成る」は、幼少期より母親に言われ続けた思い入れのある言葉です。
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卒業証明書

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日本ペインテクニカルスクール卒業
フォークセラピースクール卒業
日本脊椎調整体師育成センター卒業
・2006年に整体スクールを卒業
・2007年11月に株式会社として整体を始める
・2010年12月に会社を廃業
・2011年より個人事業主として豊橋市の下地町にて整体を再開
同年 三遠福祉療術者育成会主催として整体師育成活動を開始(現在までに6名に指導し3名の独立開業を支援)
・2018年8月・現在の豊橋市白河町に移転

整体そら豆 Hoshika Body Work’s代表・施術家 星加 通宏 1971年豊橋生まれ豊橋市在住。豊橋市西高等学校卒業(第5回生)
高校卒業後大阪の専門学校に入学するも家庭の事情もあり退学
1991年の20才まで実家の家業とアルバイトで生活
その仕事ぶりを見た当時アルバイト先のガソリンスタンド店長に地元企業の社員として推薦されるも
しかし何かが違うと感じて断り退社
同年1991年の20歳の時に家計を支えていた母が、くも膜下出血により生死を彷徨い家計を支えるために
1992年に海運会社に入社(藤木海運 現フジトランスコーポレーション)
1995年に退職し自動車の部品販売・取り付けの会社に入社
社内にて販売実績全国4位となり表彰
社内にて担当部署の売上が前年対比150%となり表彰
その他部門別での驚異的な売上UPを達成し地域の統括となる
2年間独立採算制にて店舗の運営を任せられるなどの実績を積む
2004年自動販売機荒らしの逮捕に協力し警察より感謝状を貰う

2006年に同社を退職
2007年一次的な工場勤務(正社員として採用)
入社後3ヶ月で働き方を認められ管理職へ昇進が決まるも
あまりにも安易な人事異動と社員のクオリティーの低さに危機を感じ管理職推薦を断り4ヶ月で退社
2007年11月会社を設立し整体などの事業スタート
2008年7月に順調に売上を伸ばし新規集客100人/月を達成する
2008年9月以降にリーマン・ショックと鳥インフルエンザ騒動により売上が激減
2010年12月に会社を廃業
2011年拠点を豊橋市下地町の築90年の長屋にに移し細々と整体にて生活
2015年元々銀行などの融資を受ける際の事業計画の制作の経験があることから相談を受けた持続化補助金の事業計画を制作し通過
その後数多くの持続化補助金の通過実績とアドバイスを持つ
2018年8月に現在の豊橋市白河町に移転
現在まで3名の整体師の育成と独立
2025年現在54才(広汎性発達障害・アスペルガーで一部AD/HD)
趣味 サーフィン(下手の横好きで30年)
犬と猫をひたすら好む傾向に
BABYMETALのファン
観葉植物好き
普通ぐらいにアニメ好き
ガンズ・アンド・ローゼズのコアなファン
オールドレンズ収集
ガジェット大好物
今年(2025年)で整体を学び始めて約22年、独立して18年目を迎えます。
そもそものきっかけは「自分の腰をどうにかしたい」という思いからでした。
僕は生まれつき体が弱く、幼稚園に3か月間も通えないほど病弱な子どもでした。
心配した母は、鍼や漢方薬で少しでも体を良くしようと工夫してくれ、そのおかげで5歳の頃には漢方薬の味にもすっかり慣れていたほどです。
無事に成人はできたものの、20代に入ると今度は重度のぎっくり腰を年に3回ほど繰り返すようになり、さらに首も痛めて仕事に支障をきたす日々が続きました。
病院に通い、1年間リハビリに励んでも改善せず、諦め半分でごまかしながら過ごす毎日。
整体やカイロにも通いましたが、症状はなかなか良くならず、最も悪化した時には手がしびれてボールペンすら握れないほどでした。
約10年間、腰痛に悩み続けた末に「自分の体は自分でケアできるようになろう」と決意。
本を見ながら独学でストレッチや筋トレを始めましたが、どうもしっくりこない。
そこで「もっと自分の体を知ろう」と思い立ち、働きながら整体学校に通い始めたのが、この道に入るきっかけです。
整体を学んだからといって、すぐに体が良くなるわけではありませんでした。腰や首の調子がようやく上向いたのは、整体学校を卒業し、苦労して開業してから1年後のこと。学び始めてから実に4年の歳月がかかりました。
その経験から「自分の体をケアすることで得た知識や実感を、同じように悩む方の役に立てたい」と考えるようになりました。
体の不調は「体」だけが原因ではなかった
僕の場合、原因は体だけではありませんでした。
もともと噛み合わせが悪く、偏頭痛や顔の歪みが気になって仕方がなかったのです。
特に鼻の歪みが気になり、顔の骨を無理やり動かして「真っ直ぐにならないか」と試したこともありました。
偏頭痛や睡眠障害を少しでも和らげたいと、自分の頭を触り続け、固まりやすい筋肉を探る中で得た知識から始めたのが「ヘッドマッサージ」と「整顔調整」です。
また、体が弱かったことから始めた「足つぼ」や「腸もみ(内臓調整)」も、自己免疫力を高めるのにとても有効でした。特に腸もみは腰痛や肩の痛みの緩和にも役立ち、今では通常の施術にも取り入れています。
経験を重ねるにつれ、筋肉を緩めたり骨格を整えたりといった単体の施術だけでは根本的な解決にはならないと実感しました。
大切なのは、多角的なアプローチと、その方に合った施術。
そして弱点を補うセルフケアをお伝えし、二人三脚で取り組むことだと考えています。
整体によって動きやすくなった体を積極的に使うことで、新しい神経のつながりを構築し、「戻りにくく・繰り返さない」体づくりを目指しています。
自宅兼施術室という小さなお店ではありますが、今できることを精一杯行い、皆さまのお役に立てるよう努めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
僕には、整体師・施術家として、また一人の人間として、さらにASDを持つ者として大切にしている信念があります。
整体師として一番大切だと考えているのは、お客様との良いリレーションシップ、つまり信頼関係とお付き合いです。
整体や施術の仕事は、筋肉を緩めたり痛みを和らげたり、不調の原因を探して改善へと導いたりすることが基本です。
もちろん、美容的な要素も含まれます。
しかし本当に大切な役割は、それだけではありません。
僕は「お客様の夢や希望、そして笑顔を叶えることをサポートすること」こそが、この仕事の本質だと考えています。
例えば、腰の痛みで仕事のパフォーマンスが上がらず悩んでいる方がいたとします。
その痛みを緩和し改善することで、仕事のパフォーマンスが向上し、目標を達成できる。
さらにプライベートも充実し、楽しい日々を過ごせるようになる。
そうしてお客様が笑顔になり、喜んでくださることが、僕自身の自信や励みにつながります。
僕にはASDの特性として「一つのことに強く集中してしまう」という傾向があります。
その特性を前向きに活かし、お客様の笑顔につなげることができるのであれば、それは僕にとって最高の幸せです。




